2010/01/18

誰がEV-1を殺したか

12
34
567
78
物語あらすじ、

ロスアンゼルスは、排気ガス、工場からの煙、強い日光で町全体がスモッグに覆われている。
雨が少なくからっとしているため、普段はあまり気にならないが、飛行機でロスアンゼルスに近づくと、
町全体が青白くかすんでいる。また、光化学スモッグの健康被害が始めて報道されたのもロスアンゼルスである。光化学スモッグによる健康被害を防ぐため、世界最初にカリフォルニアで自動車排気ガス規制が始まり、次いで、連邦で排気ガス規制が導入された。カリフォルニアには独自で排気ガス規制を敷くことが認められている。

CARB(カリフォルニア大気資源局)はカリフォルニアの車からのCO2を減らすことを考え、1990年ZEROーEV強制法を立法化した。そのため自動車メーカーは1998年までに2%、2001年までに5%、2003年までに10%はZERO-EVを生産しなければならなくなった。

GMは1987年オーストラリアで行われたソーラーカーレースで優勝した。気を良くしたGMロジャースミスはEV研究を推進させた。ほどなく鉛蓄電池を搭載したEV-1をテストマーケットとして送り出した。
GMがEV-1を出したため、CARBはZEROーEV強制法が実現可能と判断した。

しかし、GMのビジネスとなるとEV-1は負担が重すぎた。政府の援助でEV-1を開発したのであるが、量産するにはコストがかかりすぎた。車の販売価格は900万円と見積もられたが、月5万円でリースされた。
GMは法に適合するかEV-1を作り続けるか、法を取り下げさせるかの方法を迫られた。
結局、両方で行くことになった。
鉛電池EV-1は650台生産された。1999年にはハーネスから出火するという理由でEV-1をリコールし、ニッケル水素電池に200件以上の特許を持っている会社を買収し、バッテリーをニッケル水素電池にした。

しかし、EV-1は短期的には儲からないため、また、石油が売れないと困るブッシュ政権と組み、結局、GMは法を取り下げさせる戦略に絞り、直ちにCARBを提訴する戦略に変換した。

2001年2月GM、クライスラー、カリフォルニアディーラーはCARBにZERO-EV法は無効と提訴した。
理由は消費者が望まない車を強制する法規であるというもの。

自動車業界から多額の献金を受ける自動車ロビーストと呼ばれる議員やブッシュは、CARB規制が燃費を規制する法規とするとEPAに権限があるという別の理由でGMのCARB提訴をバックアップする。

GMの訴訟を受けすぐ、2003年1月ブッシュ大統領は12億ドルを水素ガス車の開発に供出とアナウンスし水素が今後の代替燃料であり、米国が日本をリードすると表明した。ブッシュは石油を改質して水素を作ることを知っていたため、水素を表明したのだ。

水素ステーションを各地に作り、石油会社と組んでZERO-EVの本命はEV-1でなく、水素ガス車や燃料電池自動車であると大々的に宣伝した。カリフォルニアで燃料電池車のフリートキャンペーンを開始した。

カリフォルニアシュワルツネッカー知事も電力をEVが多量消費するとまた、大停電を起こすであろうと心配したか、CARBの議長に水素会社の会長を招聘し、水素援護派でCARBをかためる。環境問題を訴える催しに颯爽と水素エンジンハマーで登場し水素をアピールもした。

バッテリーに電気を供給するスタンドの建設は税金の無駄使いと反対するグループが現れた。

個人の名前だけ載せ詳細を伏せたある消費者グループと称するものが、新聞にカリフォルニア州の税金は全てとは言わないが大部分は石油がまかなっていると石油業界をバックアップ広告。サポーターのリストがインターネットに載っていたが、真偽を確認するとネットからリストは削除されてしまった。

石油業界はEV用電力は石炭を使う火力発電所で発電するため、温室効果ガス5%増やし、NOXを700%増やすとEVを批判した。

 当初、高性能で環境にも優しいEV-1は羨望の的だった。とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよとトム・ハンクスも大絶賛していた。ところがこの石油業界からの石炭火力発電は大気汚染の原因との声が上がってから風向きが変わっていった。

GMはEV-1には内燃機器が無いので、そういう商売が成り立たなくなる、ガソリンを使わない車だと世の中はどうなってしまうだろうか、トランスミッションが無いとどうなってしまうのか、金持ちだけがEVを買えるなど、EVのイメージを自ら悪くするネガティブCMをテレビで流した。

CARBで公聴会が開かれ、CARBはもはや環境保護庁(EPA)でなく企業利益保護庁(CPA)ではないかと痛烈に批判する人もいたが、EV擁護派が十分な数選ばれていない場で、走行距離が短く、充電に時間がかかるEV-1を消費者が支持しないという理由で、2003年4月23日ZERO-EV法廃案が決定された。

草の根キャンペーンで自動車安全・環境対策を自動車会社に強制して来た実力者であるラルフネーダーは言う。GMの歴史は技術者がリードするのでなく、執行者がリードする。彼らは長期の規制を達成する気はない。
規制が実行される時が来ると、困った何とかしてくれと政府に泣きつき緩和させる。それが戦略であると。

ハマーを買収してしまったGMは、燃費は悪いが頑丈、安全な車をなんとか売らなければならなかった。
ハマーは戦車ではないか。誰かを殺す車を売るなんてぱっぴらだという女性消費者もいたが。
大型ピックアップトラックはは儲かるため、それを売る戦略を徹底的に遂行したかった。

ZERO-EV法は無効の決定に基づき、GMはリース中のEV-1を市場から一台残らず回収し、ポンコツにせよという指令をディーラーに出した。EV-1のユーザーはEV-1は燃費も良く加速も良いEV-1を支持していたため、無理やり奪う事になってしまった。

サクラメントの工場を閉鎖し、EV-1営業マンを解雇した。

ニッケル水素バッテリーで200以上の特許を持っているスタンド オフシェンスキー社を買収したが、買収した株をテキサコに売ってしまった。石油会社はバッテリーをビジネス化することは決して無かった。
オフシェンスキーはシャンペンロードを期待したが全く期待はずれであった。GMに売らなければ良かったと言う。

しかし、カリフォルニア人ははいそうですかと引き下がらない。自らの信念のためEV-1を存続せよとサクラメント、ロスアンゼルスで抗議を開始した。有名人にはメル・ギブソンやトム・ハンクスもいた。

2003年7月24日カリフォルニアで回収される運命のEV-1をハリウッドの葬儀場に集め葬式行い、マスコミに取材させた。

伝統にのっとり、バグパイプの笛の音に先導され、EV-1がしずしずと搭乗し、米国旗がかけられる。花が添えられた。

お別れの言葉が述べられた。
EVはCARBのいうように全消費者に指示されていなかった。たった90%の人に支持されているだけだと皮肉とユーモアのあるスピーチもされた。いかにもカリフォルニアらしい。

回収されたEV-1のうち78台がGM私有地に集めらていた。GM授業員に聞いてもEV-1がどうなるか知らないという。インターネットでは、クラッシュされアリゾナ州のGMの車両試験地に放置されているという噂があった。
GMの車両試験地は立ち入り禁止のため、EV-1支援者はヘリコプターで現場に確認に行く。するとパーツを取ったり、リサイクルすることも無くアルミボディとモーターの高価なEV-1は無残にクラッシュされ野積みされていた。

EV-1のような貴重な車を、クラッシュする事も間違っているが、クラッシュした理由はもっと間違っているとオフシェンスキーは怒る。

アリゾナにEV-1がクラッシュされていることが分かったEV-1ドライバーは、70台カリフォルニアに残っているこの車がクラッシュされるは忍びないとして戻すようアクションを起こした。
EV-1の置かれている駐車場を24時間監視し雨の日も6時前の早朝からEVを殺すなと抗議を続けた。
駐車場にあるEV-1の車体番号を道に白墨で記入しデモンストレーションした。
何千人かのウェイテングリスト顧客の一部も参加した。

当然抗議にもかかわらずGMは答えなかった。EV-1搬送トレーラーの走行を邪魔した支援者は逮捕されてしまった。

EV-1だけでなくパームスプリングスではフォードの電気トラックも放置されていた。トヨタ、ホンダの電気自動車もシュレッダーにかけられた。